【長崎の郷土料理 23選】~ちゃんぽんから離島の伝統料理まで~

【長崎の郷土料理 23選】~ちゃんぽんから離島の伝統料理まで~

わが郷土「長崎」。 この故郷にどのような伝統料理があるのかを知りたくなり作成しました。

更新日:2019/04/28 (2019/04/26作成)

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このまとめ記事は食べログレビュアーによる4129の口コミを参考にまとめました。

長崎に来られる方の参考に少しでもなれば。でも西の果てにある長崎の田舎や島の郷土料理など、マイナー過ぎる料理が多いです。気になる貴方は相当な食のマニアかも。

まとめとして掲載できるような料理を調べてみましたが、取捨選択して23の郷土料理がありました。
歴史ある料理から、ただの産地としての料理まで。
プラスαとして、文中に他の郷土料理の紹介をしている場合もあります。
正直、県北と五島の料理がほとんど掲載されていません。
南北に細長く、島嶼部も多い長崎のまとめとしては不完全である事は否めません。
今後も追記していきたい「まとめ」です。
知識・情報をお持ちの方は、是非ご教授頂けると幸いです。

【2019.4.28追記】
ろくべえ(対馬)壱岐豆腐(壱岐)ひきとおし(壱岐)対州蕎麦(対馬)長崎おでん(長崎市)

まずは定番のチャンポン・皿うどんから

四海樓 - ちゃんぽん

長崎といえばチャンポン。
19世紀末に四海楼で誕生したと言われています。
同郷の留学生に栄養価の高い食べ物を、と考案されたとか。
明治中期に誕生し、明治後期には数十軒のお店が出来る程に広がっていたそうです。

皿うどんも、同じジャンルでほぼ同じ扱いにしていいかと思います。

一人で丼一杯食べるのがチャンポン、大皿で皆で分け合って食べるのが皿うどん。
昔はチャンポンを好んで食べるのは男性、女性は皿うどんを食べる、というのもあったみたいですね。

中華街のお店から、町の軽食中華店やラーメン店まで、チャンポンと皿うどんを出すお店は幅広くあります。

四海樓

どのお店がお勧めかというと、各長崎県民で違うのではないでしょうか。

基本はチャンポン・皿うどんは家庭料理でしょう。
お店のちゃんぽん・皿うどんを頂くのは、仕事が忙しい時・来客の時などに、近所の軽食中華店からチャンポンの出前を取る時などではないでしょうか?
新地中華街まで出かけて食べるって事は、長崎県民は滅多にしません。

長崎県民のソウルフードだなんて言われてもいたりしますが、そんな大げさなもんかね?というのが正直な所。
でも出前で取って食べるほどの料理だからソウルフードなのかも。

長崎ちゃんぽんを全国区に押し上げたリンガーハット

リンガーハット 長崎宿町店

「リンガーハットのチャンポンが一番美味しい!」と、それが通かのように粋がってうそぶく輩もいます。
確かに一般的な長崎県民には、リンガーハットの方が新地中華街のお店よりも、よほど馴染みがあるかもしれません。

こちらは長崎ちゃんぽんを全国的な知名度に押し上げた「リンガーハット」の1号店。

ちなみに、日本三大チャンポンというのは、長崎の他は小浜と天草。
長崎から当時の航路で広がっていったのがすぐに解る、狭い地域での日本三大チャンポンとも言えるのかも。

天草ちゃんぽんは「明月」で頂いて奥深さを感じたのですが、逆に小浜ちゃんぽんって代表するようなお店がない気がします。

長崎の異国情緒を感じる、和華蘭の伝統料理「卓袱」

花月

「おひれをどうぞ」で始まる、長崎の代表料理のひとつ「卓袱料理」。

卓袱のうち「卓」は食卓で、「袱」は食卓の周囲に垂れる布巾を意味したそう。
はじめは四角の卓に布巾を用いたのが、後には朱塗りや網掛け模様入りの円卓となったそう。

花月

食事形式は唐風、内容は日本料理を基礎に、唐風・南蛮風を盛り込んであります。
料亭で専門的に受け継がれている他は、各家庭でも伝えられていった料理だそうです。

家人の手を煩わせないため、取り皿は2枚という決まりもあります。

代表的なメニューは「東坡煮(とうばに)」とも呼ばれる豚の角煮でしょうか。
「パスティ(バスティー・焙烙焼との別名も)」も花月では正規の卓袱コースでは出されています。



花月

「史跡料亭 花月」には坂本龍馬がつけたという刀傷があります。

お客さんには必ず資料館の案内もされるそうです。

長崎てんぷらが入っている卓袱もあるとか。

坂本屋

坂本屋の卓袱には「長崎てんぷら」も入っていると、何処かで読んだのですが、ソースを忘れてしまっています。
坂本屋の写真にも、長崎てんぷらはありませんでした。

長崎てんぷらは、衣に味をつけてあり天つゆは使用しないで頂く物です。
その分、衣はぼってりとしています。

余談ですが。
「花月」と同じくらいの知名度だった「富貴楼」。
コチラは数年前に閉店し、貴重な文化財だった建物も取り壊しとなったそうです。
丸山にある「花月」よりも、諫早に戻る時に馬町の交差点から「富貴楼」の下を通っていた自分には、コチラの方が親近感がありました。
「いつかココで食事をしたい。」となんとなく子供の頃から思っていたので、とても残念です。

リーズナブルに卓袱料理を頂くのならリンガーハット系列店。

長崎卓袱浜勝

リーズナブルに卓袱料理を頂きたいのであれば、リンガーハット・浜勝の系列店である、こちらで頂くのもありかなと思います。

また卓袱料理と似ていると言われている精進料理の「普茶料理」。
こちらを頂けるのは唐寺「興福寺」のようです。
こちらは独立して掲載したかったのですが、詳細を興福寺にメールで問い合わせても返答がありませんでした。
そんな訳で普茶料理は未掲載です。

長崎の練り製品が入ったあご出汁ベースの「長崎おでん」

桃若

今回「長崎おでん」なるものがある事を初めて知りました。

かんぼこ(蒲鉾)を多用したあご出汁のおでんが長崎おでんとなるそうです。
竜眼という、卵をすり身で包んで揚げた具材が入っているのも特徴のようです。
調味には柚子胡椒♪

確かに家庭料理のおでんの鍋にも、かんぼこは昔からよく入っていたな、と思い出しました。

大村のめでたい郷土料理「大村寿司」

やまと

大村地方でのハレの日の料理・最高のもてなしの料理とされる「大村寿司」。

文明6年(1474年)島原の有馬藩・諫早の西郷藩に敗れ佐賀唐津沖の加々良島まで逃れた16代藩主大村純伊。
純伊が文明12年に宿願の大村領を回復した際、領民が藩主将兵を労う料理を用意しようとしたのだそうですが、あまりに突然の事で食器が揃わなかったのだとか。
とりあえずもろぶた(木製の長方形の箱)にご飯とそれぞれが持ち寄った魚の切り身や野菜を載せて抑えた物を食前に供したとか。将兵はこれを刀で角切りにして手づかみで食べたといわれ、これが大村寿司の始まりと言われています。
勝ち戦にちなんだ、とてもめでたい料理です。
武家風・町人風・農民風とそれぞれの作り方が家伝で伝えられています。

大村寿司は城跡にあるお店でも頂けます

上記の「やまと」が有名だと思いますが、大村(玖島)城址にもいい雰囲気の大村寿司のお店「梅ヶ枝荘」があります。

大村城跡の城門を入って坂道を登った一角にこのお店があります。

コチラの梅ヶ枝餅も美味しいです。

白い鉄火巻はたまに見かけるけど、他県にはないようです。

銀屋町 まさる - 長崎すし街道にぎり(アップ)

長崎はヒラス(ヒラマサ)・ブリの養殖が盛んな地で、ヒラスは一般的に食べる魚です。
刺身盛りなどには必ず入っています。

「白い鉄火巻」というのは、そのヒラスを鉄火巻にしたモノ。
確かに昔からあったと思います。
出前の巻物では、鮪の鉄火巻と同じくらいの頻度で桶に入っていたので、俺は違和感がありませんから。
でも全国的には珍しいのだとか。

高級店のお寿司屋さんというよりは、大衆的なお寿司屋さんの方がメニューにある、という話もありました。
メニューになくても頼めば握って(巻いて)くれるお店もあるようです。

彼杵に鯨が水揚げされていたから、長崎は鯨の食文化が発展

寿司割烹 魚徳 - 鯨盛(アップ)

鯨の肉は彼杵の宿に荷揚げされ、生又は塩蔵された物が九州各地に運ばれたそうです。
彼杵地方では特に鯨が手に入りやすく、この地方を中心にして鯨を使った料理が今でも多いのだとか。

長崎はいい部位の鯨を鮮度が落ちないうちに食べれたので、鯨の食文化が発展したそうです。
諌早も津水町に荷揚げされていたと聞きます。これも彼杵から海路で来ていたのでしょう。

鯨は「勇魚」として祝宴に使われ、中でも百尋(小腸を茹でたもの)は、長崎の正月には欠かせないものの一つであったそう。

寿司割烹 魚徳 - 鯨盛(中) 赤身、さえずり、百尋、胃袋、畝、蛇腹

自分の地元諫早では鯨肉を豪快に使うというよりは、じゃがいも・蓮根・にんじんなどをウネの薄切りと一緒に「煮しめ」(煮物)にすることが多いです。
これがまたウネの量に比例して、美味しいんだ♪

掲載したのは、本場彼杵で鯨のコースを頂ける「寿司割烹魚徳」。

鯨料理から郷土料理まで幅広く浜の町でカバーできるお店

前述の鯨料理・長崎てんぷら・白い鉄火巻(こちらでは長崎鉄火としてメニューにあるようです)が、1店で食べれるお店がありました。
ハトシだってあります。

場所も長崎の繁華街「浜の町」ですし、立地が素晴らしいですね。

ここだけで長崎の郷土料理・名物が結構カバーできます。

五島の郷土料理って、五島うどんだけではないと思うのだけど…。

バラモン食堂

五島うどんの伝来も諸説さまざま。
遣唐使説から、最近は100年程前の大陸から上五島に流れ着いた捕虜説まであります。

食べ方は「地獄炊き」が一般的。
コシが強い五島うどんは、長く湯につけていてものびにくいのだとか。
名前の由来は、グツグツ滾っているお湯が地獄のようだ、とか「しごくおいしい」という言葉からきているとかコチラも諸説あり。

元は漁師の夜食。
真水が貴重な船上で、一度炊きで食べていたのだとか。

バラモン食堂

その他の五島料理もこちら「バラモン食堂」ではいただけるそうです。

…バラモン凧からきてるんだろうな店名。
また鬼岳に行きたいです。

ここしかやっていないような料理だけれど、長崎の伝統料理を語る上ではなんだか外せない「吉宗」。

吉宗 本店

慶応年間創業されたという「吉宗(よっそう)」の名物は「茶わん蒸し・蒸し寿司」
大振りの茶椀に盛ってセットとなっています。
デリバリーもお持ち帰りもあるようです。

個人的にはこのお店の雰囲気が好きです。
江戸時代の町屋風の建物とか、下駄箱での所作とか。

諌早~小長井の有明海沿岸は牡蠣小屋多し

おいんち

長崎の有明海・九十九島は牡蠣の産地。
あまり九十九島方面の事はわかりませんが、小長井は海岸沿いに牡蠣小屋が並んでいて、
その光景は冬の風物詩とも言えます。

掲載したお店は長崎市の繁華街「銅座」にいながら、牡蠣焼きが出来るというお店。
オススメは現地で牡蠣小屋で食べる事でしょうけれど、市内にしか行かないって場合は重宝しそうなお店です。

うちわ海老なども置いてあるようですが、九州から山陰で獲れるこの海老も、長崎に来られたなら食べてみていいのかも。

関東から来崎する友人のために刺身盛りを用意した時も、魚屋さんから「うちわ海老は入れとかないとね。」と言われたこともありました。
うちわ海老の旬は秋ですね。

天草四郎も食べたのかもしれない「具雑煮」

姫松屋 本店 - 具雑煮♡

伝説では「島原の乱」の際に、籠城軍が作って食べていたとの由来や、乱の後に移住した小豆島出身者が原型を持ち込んだとか、こちらの姫松屋の初代が考案したとか色々言われているようですが、詳細は不明なのでしょう。

島原の山の幸、海の幸をふんだんに取り合わせ、最後に餅を入れて1人前ずつ土鍋で提供するスタイルがお店では一般的のようです。

個人的には、姫松屋説が有力な気がします。
天草四郎のエピソードを添えて売り出され、年月をかけて郷土料理なった「元祖・作られた名物」だったのかも。

姫松屋の本店が特に美味しいと聞きます。

諌早の定番伝統料理「鰻」

北御門 諫早本店 - 梅ご膳(蒲焼4切+ご飯+味噌汁+漬物)

諌早は江戸時代からの鰻の産地として有名だったそうです。
諌早では「焼き」の後、楽焼で「蒸し」て仕上げます。
楽焼の空洞部分にはお湯が入っており、冷めにくくなっています。

KBC(九州朝日放送)の深夜番組も取材にきた「ぬっぺ」。

朝比 - ぬっぺ

諌早の郷土料理「ぬっぺ」
「ぬっぺい汁」「のっぺい汁」とも呼ばれるようです。
葛でトロみがつけてある汁物の精進料理です。
本来は細かくカットされた野菜(蓮根・里芋・人参・椎茸・厚揚げ・手毬麩など)だけの料理のようなのですが、最近は鶏肉の小さなぶつ切りを入れる家庭が多いのではないでしょうか。
うちの子が学校で習ってきた話だと、元は武士の料理だったそう。

現在この「ぬっぺ」を食べようと思うのなら、基本は家庭料理になるのでしょうね。

写真は2010年代前半に期間限定メニューで出されていた「ぬっぺ丼」。
ご飯の上にぬっぺをかけていたみたいです。

朝比 - 蓮根料理

こちら朝比にも以前はメニューにあったようです。
2010年代前半には、町おこし的に「ぬっぺ」をメニューに入れたお店が4軒程あったそうですが、多分現在は続いていないのではないかな?
その4軒がどちらのお店だったのかも、今となってはわかりませんでした。

ちなみに諫早市森山町唐比は蓮根も有名みたいで、朝比は蓮根料理もあるそうです。

高来町の自家消費蕎麦であった「幻の高来蕎麦」は、近年お店で食べられるようになってきています。

対馬には蕎麦の原種があると、蕎麦漫画で読んだ記憶がありますが。
「幻の高来蕎麦」というのが長崎県諫早市高来町にはあります。

元々商用ではなく、自家消費のための蕎麦だったそうです。
蕎麦粉十割の茶色いお蕎麦です。

温かいお蕎麦もざるもあるのですが、この高来蕎麦の象徴的なメニューは「どろり蕎麦」なのではないでしょうか。
どろり蕎麦とは、蕎麦の茹で汁も少し器に入っており、それに醤油を垂らして食べるという物でした。

高来町湯江では「かきそば」なる年越し蕎麦があるそう。
各家庭で分担作業で大量の蕎麦を作り、あちこちに配る風習があるのだそう。
湯江の海岸で獲れる「うちがき」を使った蕎麦は大変美味しいそうです。

幻の高来蕎麦のお店をクラウドファンディングでオープン。

「幻の高来そばの食事処」はクラウドファンディングで150万円以上集め、今年(2019年)1月にオープンされています。

ビニールハウスの店舗も、安い予算でやりくりしてでも、なんとかこの蕎麦を残したいという気概を感じます。

もう営業されていないと思いますが「どろりの里」という、民家で営業されている高来蕎麦のお店もありましたね。

毎年12月頃には「幻の高来蕎麦」のイベントがありますが、大抵お昼頃には売り切れてます。

島原は全国2位の素麺の産地

南島原食堂 - おかえりそうめんセット(1000円)

島原の素麺は、以前は三輪素麺の下請け的な立場だったそうですが、現在は独自ブランドを確立しています。

なぜ素麺の産地だったのか。
「島原の乱後の小豆島移民伝説」「福建省伝来説」などがあるようですが、これもはっきりとはしていません。

素麺作りは、早朝からの大変な仕事のようですが、この地域の富裕層でもあります。

そんな島原素麺はあちこちで頂くことができます。
山の中の和風のそうめん流しのお店であったり、廃校を利用した日曜日のみ営業のコチラ「南島原食堂」であったり。

深江町には「めんの山一」なる島原素麺のお店があります。
が、食べログには登録されていません。
変わり種の素麺を頂くならこちらなのかもしれません。
直売所もありますし、レストランも併設。

島原そうめん鉢なる、ご当地グルメを作ろうとする動きもあるみたい。

素麺料理 面喰い - ぶっかけ海かけ昆布そうめん@520

こちらの「面喰い」は国道沿いで営業されているので一番交通の便はイイお店かもしれません。

町おこし的なものなのか、「島原そうめん鉢」という鉢で素麺を食べるメニューがあるそう。
この企画にも「面喰い」は参加しているようですが、メニュー写真には未掲載ですね。

ただ写真は発見。
花クルスの描かれた波佐見焼の丼にはいっているこの写真のが、そうめん鉢です。

以前は年2回と提供時期が決まっていたそうですが、現在はどうなのだろう?

島原半島の貧窮料理であった、さつまいも麺「六兵衛」

かつて島原一帯がひどい飢饉に襲われた際、深江村の名主の六兵衛という人が人々を救うために考案したという料理。
六兵衛という料理名自体が、このサツマイモを主原料とした麺のことを指します。

この麺は「六兵衛突き」という専用の押し機で押し出し、湯に落として茹でるそうです。
全国的にも珍しい「押し出し麺」であるのも特徴なのだそう。

出汁は昔はワラスボ(エイリアンみたいな有明海の魚)で取っていたそうですが、現在は鰹節・昆布出汁。


六兵衛

昔は貧窮料理らしく然程美味しいものではなかったそうですが、サツマイモの品種改良で六兵衛自体が美味しくなったそうです。
戦前の六兵衛を食べていた世代は、現代の六兵衛はとても美味しく感じるのだとか。
時代とともに味は変わっていっているのでしょう。

島原地方では主食として重宝された時代もあるそうです。

「ろくべえ」は対馬にもあるという興味深い事実。

志まもと - 【志まもと】郷土料理ろくべえ汁。

島原だけではなく、対馬にも「ろくべえ」「せんじる」という名前で、同様の料理がありました。

対馬は山間部が多く、江戸時代は食糧事情が大変厳しかったとか。
薩摩藩から決死の覚悟で種芋を持ち帰った方がいたため、サツマイモの栽培は広まっていたそうです。
サツマイモは、岩がちで平地が少ない対馬の痩せ地にも適応できる優れた作物だったそう。
問題は傷みやすさ。
そのためセンというでんぷんを取り出す方法が考案され(だから「せんじる」なのかと納得)、長期保存が可能になりました。

志まもと - ロクベー汁の麺は黒い

調理の際は、乾燥して団子状になったセン(せんだんごとも呼ばれます)をぬるま湯で戻して、押し出し麺にするそうです。

同じ長崎県内とはいえ、島原半島とは地理的にはとても遠い離島の対馬。
それでも、なんらかの交流がこの二つの地域にあったことが推測されます。
それもダイレクトに技術を伝えた直通の交流が。
島原半島と対馬の間にある地域には、六兵衛の食文化はありませんから。

「イギリス」ではなく「いぎりす」

海藻「イギス」を使った島原の郷土料理「いぎりす」。
「グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国」の「イギリス」とは無関係。

イギスを練り上げ具を入れた食べ物で、祝儀・不祝儀にも応用できる料理です。

これまた小豆島からの伝来した料理。
なぜに小豆島から伝わった物が島原半島には多いのか?
やんわり表現すると、島原の乱で壊滅状態となった島原半島に(幕府の命で)移住した人たちの中に小豆島の出身者がいたからです。多分集団移住なんでしょうけど。

余談ですが有明海側の島原半島は「北目(きたんめ)」と「南目(みなんめ)」に分かれ、大げさに言っちゃうと文化・習慣が違います。
北目は昔から住んでいるの現地民。
南目は「島原の乱」後に移住してきた他所者集団。
そら文化も違ってきますし、仲もあまり良くはないですわな。
この二つに比べほとんど取り上げられませんが、橘湾側の島原半島は「西目」です。

個人的には、島原半島に縁を持ってから初めて知った料理。
宴席に出された「いぎりす」に、親族(諫早)も衝撃を受けていました。
妻によると、イギスを茹でる作業が熱くて大変なんだとか(他人事)。

家庭料理であり、外食で頂けるお店はないと思っていましたが、何軒かありました。
こちらはその一軒。
でも海藻部の方ではなく、喫茶部の方なんですが、食べログ登録されてませんでした。

そして写真は「いぎりす」ではありません(汗)。
いぎりすは羊羹みたいな、具材の入った練り物なんです。
下記の「ほうじゅう」の写真で確認してください。

昔の人は、死んでもいいからフグを食べたかった模様。

ほうじゅう - がんば寿司(がんば寿司定食)

島原では、フグの事を「がんば」と言います。
「がんば(棺桶)をそばに用意してでも食べたい」という意味から来たと言われています。
「がん」で棺桶って意味の方が正しいのかな?

有明海には産卵のため3月から5月にとらふぐが来ます。
この時期に頂くのが美味しいそうです。

郷土料理というからには、独自の調理方法をできれば紹介したい所。
フグだけなら島原でなくとも食べれますでしょうしね。

湯引きの他、醤油・みりんで煮つけた「がねだき」もあります。
こちらはフグの骨を煮つけたものが「がね(蟹)に味が似ている」という話もありました。
が、むしろフグの身をぶつ切りにして煮つけたのが「がねだき」なのではないでしょうか?
勿論、骨を煮つけたモノもあるのかもしれませんが。
少なくとも俺が食べた事があるのはそちら。
梅干しが添えてあるのも特徴かと。

ほうじゅう

こちら「ほうじゅう」は、島原名物を一店で頂くのなら一番かもしれません。

「いぎりす」もありますし、「ガンバずし」から「がねだき」もありますし、島原スイーツ「かんざらし」も提供しているみたいです。
それどころか島原素麺の地獄炊きもやってるし、HPの写真には具雑煮らしきものもありました。

オールマイティーなお店だなと感心してます。

島原半島では「たいらガネ」だけど、対岸では「竹崎カニ」

はしもとや - 後ろ姿

国見町の多比良沖で獲れるワタリガニ(ガザミ)は「たいら蟹(ガネ)」と呼ばれています。
対岸の太良で獲れたら「竹崎カニ」となるようです。
まぁ水揚げされる場所で名称が変わるというのは、「あるある」なんでしょうけど。

国見町多比良(たいら)港沖で捕獲される時期が一番美味しいことから、島原半島では古くからこの名前で親しまれているそうです。
メスガネの旬の時期は4~5月頃、オスガネは9~10月頃が身も卵もぎっしり詰まって美味しい上に、一番安く頂ける時期なのだそう。通年で美味しい、という話しもありました。

はしもとや - 住宅街の中

竹崎ガニの方はあちこちのお店や旅館が提供していて、食べログにもお店はいくつも登録されていますが、こちらの島原半島はほぼんど食べログ登録されていないようです。
太良は佐賀県ですので、長崎県のまとめとしては不適当でしょう。
でも当然素材の味は変わらないんでしょうけれどね。
特に瑞穂町が有名なようで、「観月荘」なども提供されているようです。
が、観月荘は食べログに登録されていません。

今回掲載させてもらったのは、島原城近くの「はしもとや」です。
こちらは「ガンバ料理」もあります。

諌早のローカルな混ぜご飯は全国おにぎり百選に選出されている

鳥むら食堂 - 鶏飯とお味噌汁(2014.2)

鶏飯は諫早市の山間部目代町の郷土料理。
もともとは牛の削蹄をする際に、鶏をつぶして醤油で味付けした男の料理だったそうです。
要は鶏肉入りの混ぜご飯。
盆・正月には欠かせないハレの日の料理です。

全国の「おにぎり百選」の一つに選出されていることを知った時は、とても驚いてしまいました。
有名な「柿の葉寿司」等に混じって、まさか諫早の鶏飯が選ばれているとは…と。

食べログで検索した現在、鶏飯がメニューにあるのはこちらのお店だけかもしれません。
このお店の鶏飯は厳密には鶏飯とは違い、かしわ飯的なモノという気がしますが…。

大陸伝来の巨大な壱岐豆腐

「街道をゆく」で故司馬遼太郎氏も絶賛したという「壱岐豆腐」。
名前の通り、壱岐の郷土料理で、「壱州豆腐」とも呼ぶようです。

かなり大きい豆腐のようで、固さも縄で縛って持って帰れる程なのだとか。
普通の豆腐の2倍の豆乳を使い、またにがりに海水を少し加えてあるそうです。

大切な客へのおもてなし料理「ひきとおし」

いけす料理 まる辰 - 郷土料理 ひきとおし

こちらも壱岐の郷土料理「ひきとおし」。
名前の由来は客を座敷に「ひきとおし」て出した御馳走だからなんだそうです。

家庭で飼っていた地鶏をつぶして作る醤油味の鍋料理。
各家庭の味があるそうです。
これまた当時ご馳走だったという素麺を下茹でして入れてあるそうです。

祝儀・不祝儀のどちらでも出されていたみたいですね。

蕎麦の原種に近いと言われる対州蕎麦

先述の高来蕎麦でも少し触れていましたが。
蕎麦は対馬経由で縄文時代後期に日本に渡ってきたそうです。
このため原種に近い蕎麦が対馬にはあります。
元々はただ「蕎麦」とだけ言われていたそうですが、他の蕎麦との交配を6年がかりで断った近年は、「対州(たいしゅう)蕎麦」と呼ばれています。

これまた山間部の多い対馬には適していた作物だったようです。

風味が普通の蕎麦とは違い、通に愛好されているという事でした。

「いりやき」という対馬の郷土料理をトッピングした「いりやき蕎麦」というお得なメニューもあるそうです。

「いりやき」は椿油で炒ったためについた名前だそうですが、基本は寄せ鍋。
ブリや鯛などの魚か鶏を使う鍋ですが、メインの具材はこのどちらか片方で、魚と鶏を混ぜて作る事はないのだとか。
魚と鶏で2つ「いりやき」を作り、魚派と鶏派に分かれて囲むという事はあるそうですが。

締めに素麺か蕎麦を入れるため「いりやきは後食え」なる言葉もあるそうですが、このメニューは「同時食え」みたいな感じなのかな?

「いりやき」「いしやき」も紹介したいのですが、適当なお店が見当たらないから、まとめて紹介です。

※本記事は、2019/04/28に更新されています。内容、金額、メニュー等が現在と異なる場合がありますので、訪問の際は必ず事前に電話等でご確認ください。

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