1 昭和30年代 小学校の学区のラーメン
・「あさい」のラーメン
最初のラーメンは富山市立東部小学校の頃,富山市西長江の「あさい」という食堂のラーメン。食堂と言うより,「あさい」のラーメン屋さんと皆呼んでいた。出前もしてくれた。黄金色の透明スープでたっぷり白胡椒がかけてあった。当時はどこでもそんなラーメンだった。
・誕生会ラーメン
当時ラーメンはごちそうで,友達のお誕生会で出前のラーメンが出されて嬉しかった。
町内のお祭りで御輿に花をつけるなど準備作業をして,終わるとラーメンをとってもらったのも嬉しかった。
・いきそった、初めての冷やし中華
三重の千代崎と言うところにある親戚の別荘に行ったとき,初めて冷やし中華を食べた。
1965年頃だったと思う。
ラーメンの冷えたのを期待していたので,酸っぱいのにビックリ・ガックリ。
でも,その後中学校の頃には好きになっていて、中央通りのハッピーで積極的に注文した覚えがある。
・ 「大喜」のラーメン
大和での買い物の際西向かいの「大喜」のラーメンに母親に連れられて入った。食堂に行列を作って待つ初体験だったろう(小学校のバザーは除いて)。狭い店内の壁には,古銭や火縄銃など店主の趣味のコレクションが所狭しと飾ってあった。
味は,最初はビックリしたが,香りが良いのと,チャーシューもあり,嫌いではなかった。癖になる味だった。今の根塚店の味が一番近い気がする。
2 中学校の学区近くのラーメン
・「南京千両」のラーメン
中学になると行動範囲が広がり,友達と清水町にある「南京千両」に行った。当時はインスタントラーメンもはやっていたが,やはり,食堂のラーメンがうまかった。南京千両は「あさい」と比べても別格にうまかった。今でも思い出しては通っている。背脂が少しあっさりしてきた感じがするが,味は基本的には変わらない気がする。
・「ハッピー」のラーメン
中教院とおりのハッピーも学区に隣接していて,部活の帰りに遠征して食べた。
濃・薄の中間の味で,典型的な食堂ラーメンだったと思う。
ラーメンよりも,その後に食べるソフト「ツィスト」(バニラとチョコの2色でひねってある)が好きだった。焼きそばもうまかった。
3 高校時代
・七越,八番のラーメン
高校生になると活動範囲が広がったが,地元の七越のラーメン,金沢の八番ラーメン等札幌ラーメンの店が出始めて食べたと思う。
が,今もそうだが,西山ラーメンも加えて,特別の感動は持たず,黙々と食べていたと思う。
もっぱら高校の学食のラーメンがメインだった。黄金・透明系だが具の少ない,普通のおいしさだったと思う。
4 大学時代
・「カフェテリア・ニュー登呂」のラーメン
ドライブインに併設するラーメン店でバイトをした。札幌ラーメンの出しを取るのに,豚足やら鶏ガラを洗い,ショウガ,長ネギ,タマネギらと煮込み,味噌もごま・ごま油と攪拌するなど,大変な努力をしてスープと種を作るのだが,最後に大さじ一杯の化調を添加するですね。
その頃あまり抵抗なくて,食べさせたもらったらチョー美味しかった。また,スープをもらって家で塩を加えたら,化調入れなくても十分美味しかった,という経験がある。
・すすき野のラーメン横町のラーメン
店が合わなかったからか,バターがすごい,もやしが多いと思っただけで,特段の感想はなかった。
その後札幌に行く機会が何度もあったが,やはりラーメン横町のラーメンはあまり感動を受けず,街の中にある方が美味しかった記憶。
・新宿「桂花」のラーメン
新宿の桂花ラーメンを食べて,ちょっと人生が変わったか。
始めていったときは,なんとなく頼りないというか,パンチがないというか,麺がモツモツというか。
でも,すぐに行きたくなり,少し病みつきに。
以後ラーメンを意識した人生となる。
・静岡の「松楽」メン
変わったラーメンと言えば一番がこれか。
魚節のガンガン効いた生まれて初めての和風系のラーメンで,しかも辛うまかった。
今でも時々食べたくなる。
食べログで見ると,代は変わってもまだ続いているみたい。
5 社会人となって
富山に戻っていろいろなラーメンをタウン情報誌を参考に食べ出した。
マルタカヤ,アラキ,九頭竜,山久,東々亭・・・ 今ある店は口コミしている。
口コミに出ない,今はなきラーメン。
・ ユニーのスガキヤラーメン
今はなき駅前ユニーの地下にスガキ屋ラーメンがあった。普通に美味しかった記憶。
・ 県外のラーメン
出張で出かけると食べてみる。
東京の,さぶちゃん,えぞあかしや,直久,・・・
ご当地ラーメン 博多・長浜(今一違いがわからない),熊本,函館,和歌山・・・
・・・続く