『辛さの涙か、感動の涙か。』みつごとうさんさんの日記

みつごとうさんの、うれし恥ずかし食日記

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先週、伊勢神宮に行って参りました。
平日なのにものすごく混んでいたのは
式年遷宮の年で脚光を浴びているためか
春休みだからか、
土日が混むから日をずらそう、との思惑がすべてこの日に重なったのか、
考えてもしようがないことを考えて
混沌とした人生を送っている私です。

そしてなんの信仰心も持たない私が、
年に一度はお参りしたいという家内に連れられるようになってのお参りです。

今回、ある事が心に強く残ったため、日記に残そうと思い立ちました。

内宮にはいり、駐車場の順番を車の中で待っていた時のことです。
家内がふとかたわらを見ると、
「あれ、あの男の人、泣きながらメールしてるわ」
というではありませんか。

そこは、垣根があって、ちょっと死角になっている片隅で
確かに30~40代くらいの男の人で
カジュアルジャケットを着ていて、中は白いワイシャツの穏やかそうな方でした。
なるほど、携帯を打ちながら泣いています。
すると、時々肩を揺らすように嗚咽してもいます。

非常に珍しい光景に出くわしながら、
家内はこういいました。
「あんなに号泣するほど辛いなんて、可哀そう」
私はすぐに言いました。
「悲しいかなんて、わからないよ。
人間は感動して号泣することだってあるんだから」

家内はそう聞くと、納得しかねる様子ではありましたが、
反論する材料もなく、そのままその人の様子を見守る感じになりました。

何故か、私にはその人が悲しくてメールをしていたと思えませんでした。
ぼんやりと考えてみたのですが、
泣いている人に出くわしたとき、
辛くて泣いているんだ、と思うより
感動のあまり涙が止まらなくなっている、と想像する方が
自分にとっても心地いいと考えたのかも知れません。

一方で自分の体験の中で、
感動して嗚咽しながら泣くことがあったからだった、と思い至りました。
もちろん、号泣するほどの悲しい体験もあったかも知れませんが、
その瞬間の感じ方はそういうことでした。

でも本当にその人が、号泣するほど感動してメールしていたのであれば、
心温まることです。

その10分後ぐらいに、
車を置いて神社の方面に歩きだした時、
先ほどの男性とすれ違いました。
その人は何事もないように歩いていましたが、
その表情が辛そうにはまったく見えませんでした。

今でも、考えるのですが、
映画を観て、感動の涙はあると思います。
けれど、実生活において、
嗚咽するほど感動して泣くことが、
人生に何度あるのでしょうか。

もうこれからまるで経験しないかも知れません。

でも願わくば、
そういう体験ができるような生き方をしたいと思います。

できないでしょうか。
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