毎年恒例の年末の氷見~能登輪島への一泊旅行。
お決まりの美味しい食材を買い込んで戻った翌々日。・・・目を疑った。
夕方TVを見て「えっ!?」となり、直後岐阜に住む自分のスマホの地震警報も
けたたましく鳴り響き、食器棚を抑えながら揺れを感じていた。そして、その
直後のTVのライブ映像に言葉を失う。
七尾、輪島、珠洲、どこもお馴染みの場所が、ほんの二日前にのんびりと買い物
を楽しんだ場所が、ドライブをした道が、見るも無残な状況に。
絶品の鯖の蕪寿司を買いに今年も会ったあのおばちゃんの家は大丈夫だろうか、
お宿たなかは大丈夫だろうか。。
神戸も東北も熊本の震災も「ああ、可哀そうに」と思い些少の募金はしつつも、
正直どこか他人事だった自分が、今回初めて「他人事ではない」と思い知った。
ネットで安否不明者と死亡者名をチェックし、どうやら命は大丈夫そうだ、と
確認は出来たものの、道路は寸断され、住居がどうなっているかも判らず。
水は、暖房は、衣服は、と色々と気になったまま。電話番号も知ってはいるが、
どこでどういう状況かも判らない今、安全圏からただ「大丈夫ですか」電話を
した所で何の助けになるものでもなく。せめて避難所生活なり何なりが落ち着く
だろう頃までは連絡を控えよう、そう思いもう3週間が経とうとしている。
いしると海藻のお店も、スーパーも、美味い煮貝のお店も、全て無くなった。
志賀町の美味しい物を並べた西山PAもしばらくは復活出来ないだろう。
状況が許されるのなら、日常に必要であろう物を揃えてすぐにでも車で
駆けつけたかったが、それもしばらくは出来ない(それでも平気で行って
YOUTUBEに挙げているバカな連中や政治家もどきがいるようだが、正直
〇んでしまえとすら思う)。
美味しい蕪寿司を作ってくれるおばちゃん。2か月程経ったら、一度連絡を
入れて状況と居場所を確認してみようと思う。そして、些少でも何か手助けを
したい、そう思い過ごす日々が続く。
寒い時期、満足な寝床も着替えも食料・水・風呂もなく1週間を超えて過ごす
事がどれだけ大変な事かは想像に難くない。
皆さまも決して他人事ではなく、最低限の備えは必要です。自分も備えを
考えなくてはいけない。
そして来年、再来年には又元気に復活してほしい、そう願って止まない。
街がまた人を、観光客を呼べるようになった時、必ず又訪れようと思う。