『渋谷区に住んでいたころ』far longさんの日記

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far long

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日本がバブルの狂乱に差し掛かった時期、ようやく浪人生活にも一区切りがついた私は大学入学に併せて上京することになった。
田舎暮らしではあったものの親類がいた時期もあったこと、父親が東京での仕事が多かった時期があったことなどから多少の土地勘はあり不安はそれほど感じていなかった。
学校は当時流行っていた郊外に移転した総合大学で普通であれば田舎からやってきた学生は学校周辺の手ごろなワンルームのアパートを一日内覧に充てて土地勘もそれからの生活にも想像が及ばぬまま契約、しばらくするとおよそ東京での暮らしとは程遠い都会とは隔絶した田舎暮らしに暗然とし、その暮らしに馴染んでいくか、アルバイトなどでそれなりの生活が送れる近隣市街地に引っ越すかの二択が多かったと記憶している。

そんな中、私はと言えば上京が決まるや否や両親から「丁度良い物件がある」と聞かされ内覧も下見もないままある「学生寮」への入寮手続きが取られることになった。
聞けば風呂、トイレは共同。6畳個室、食事付きで部屋代は月額1万。(食事代は別途申告制で一食¥300程度だった)しかも住所は渋谷区。渋谷?渋谷ってあの渋谷?
決して裕福とは言えない環境でもありその条件を否定できるほどの根拠も持ち合わせていなかったので承諾し荷造りを済ませ3月の末、ひとり荷解きと入寮手続きのため上京した。その日は大雨、新宿での乗り換えに思いのほか手間取り地図に従って辿り着いた鉄筋3階建ての建物を前に「あ、案外悪くないじゃん」と思った記憶がある。

この「寮」、今のご時世ではほぼ絶滅していると思われるある特長があった。
それは、「社員の子息のための学生寮」という日本企業の福利厚生の異形の産物。
入寮して気づいたことだが他の部屋の寮生は在籍校も出身地も出身校も異なり、唯一の絆と言えるものが「親の会社が一緒」という極めて微妙な関係。
しかも入寮期間は2年限定でもあり一般的に想像される「寮」としての連帯感が極めて保ちにくい一種独特の空気が漂っていた。
しかも寮費は低廉な上に立地は良好。住所は渋谷区なだけに屋上に上がると目に入る奇妙な形の建物が代々木体育館、やや高い建物がNHKであることをほどなくして知ることとなる。
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