『朋友』far longさんの日記

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far long

日記詳細

明るく活発な愛犬が体調を崩し始めたのが今から2~3年前。
年齢は15歳になろうかという頃だったと思う。散歩は好んでするし、クッションやベッドの上に飛び乗る身軽さは相変わらず、食欲も旺盛だったので意識してセーブしないとちょっと太めになる事もあり気をつけていた。
ところが何度か寝ている間に失禁することがあり気になってかかりつけの獣医に診察してもらうとどうやら腎臓の数値が悪化しているとのことであった。

フードは専用のものを適量。オヤツと言ったってキャベツの切れ端やひとかけのバナナやキウリを与える程度だったので少し耳を疑ったのが正直なところだったが、イヌは先天的に腎臓が悪くなる傾向があり、検査の数値を見るに残念ながら全快は難しいものの適切な投薬などの対症療法により治療していくとの方針を告げられた。
尿漏れは腎臓で処理しきれない老廃物があるため多量の水分を摂取する分、思わずゆるむことがあるのだろうとの見立て。
そこから投薬と毎日摂取する水分量を記録する日々が始まった。

水分は一日最大600㏄以下。それ以上摂取することが続くと何らかのサインとのこと。
しかし投薬のおかげで数値は悪いながらも安定し、それまでの生活が戻ってきた、ように思えた。

15歳を過ぎても活発で吠えることもほとんど無く、朝夕の食事の時間になると立ち上がり飛び跳ね一心不乱にフードを貪り食う様子にあっけにとられることも。
散歩は基本的に朝夕。周囲に人がいないときにダッシュすると我先にと走り出すなど、犬種特有の運動能力を惜しみなく発揮していた。
但し、食事は腎臓(キドニー)ケアのみになり、それまで好物だったキャペツ、大根、キウリ、バナナ、納豆などはほとんど与えられなくなるとともに次第に聴力が衰えてきた。16歳を過ぎたころから名前を呼んでも振り向くこと少なくなり、最後は大きな柏手を打つと漸く振り向いてくれる。そんな具合。それでも視力は最後まで衰えることはなく今わの際まで私たちのことを追っていてくれていたもの、と思う。

そんな老犬との生活にも慣れ穏やかで何でもないような日常が過ぎて行った。ホント、虎舞竜のロードかよ。
月に二回くらい通院し血液検査をし、当面の処方を確認。その後次第に諸数値に乱れが生じ薬も膵臓、肝臓、消化器系と常時3~4種ほどを投薬。フードに混ぜたりしながらなだめすかして薬を飲ませるのはすっかり家人の役目となった。

さて外観や動きも年齢に見えない若々しさを保ってはいたものの16歳の冬を迎えた辺りからたまに食欲が落ちることが多くなった。
それまでのドライフードを食べきれずに残すことが多くなったのだ。
獣医によれば年齢とともに嗜好の変化、それと口腔や消化器の衰えなどでドライフードが苦手になるケースもあると聞き、その後ドライフードをお湯で柔らかくし、それが食べられなくなると同じ養分の缶詰食に替え、最後は処方されたリキッド状の流動食を注射器で口に含ませることを続けた。この間が一年足らずであったかと思う。
やはり寿命に直結するのは食欲の低下らしく、何とかエネルギーを摂取して体力を保つのが一番、それでも難しかったのは腎臓、膵臓、肝臓の数値のコントロール。積極的には食べなくなった食事を摂らせつつも腎臓の数値が高くなれば、膵臓、肝臓の薬の処方量を減らし、膵臓、肝臓の数値が高くなれば腎臓の薬の処方量をコントロールするなど微妙な綱渡りが続いた。

そんな中、間も無く17歳になろうかと言う正月。
グッタリして動きが鈍くなった日があり獣医に見せると腎臓の数値が悪化し、水分摂取量が少なく負担がかかっているとのこと。その日は投薬し、点滴を打ち腎臓が持ち直す数日の間入院することに。
この時は結局病院に2泊3日。仕事帰りに見舞いに?立ち寄ると腎臓病は悪化しないように上手く付き合うしか方法が無く、と獣医さんが訥々と話してくれたのを受けて、これが人間で言うところの「透析」が必要になるような状態だということを理解するに至った。イヌは顔を見ると「置いてきぼりにしないよね、一緒に帰るよね」と縋るような眼で見つめるような気もしたけど敢えてスルー。こっちもつらいのよ。頑張っておくれ。そう唱えながら病院を後にした。

3日後、とりあえず体調を取り戻し退院、またいつもの生活が始まったかのように思えた。
朝晩の寒さの厳しい日の散歩にはそれまで使うことのなかったイヌ用の衣服を着せて連れ出した。
それでも次女の中学受験と私の出張とが重なる2月の1週目を前にまたしても食欲不振。連日の通院が欠かせなくなり、私は出張をキャンセル。次女はその間無事合格し何となく良い方向に向かうかに思えたのだが。
体重は減ることもないがそれまで活発に走り回っていたものが穏やかに歩き回ることが多くなったように思えた。

食事もリキッド状のものに変わると排便がしにくくなったようでウサギのような便をするように。元気なころはあれほど振り切れんばかりに動かしていた尻尾もすっかり垂れ下がるように。

それらと同時に世界はコロナ禍に突入。
幸いイヌのこれらと在宅勤務が重なったことで日に3~5回の散歩。朝昼晩の世話などほぼ一時も目を離すことなく最後まで添い遂げられたことは思い返せば幸せだった。
4月の中旬、この日は久しぶりに元気があり500m足らずのいつもの散歩コースを辿った。これがこの散歩コースの最後になるとは思ってもみなかった。たまたまこの時の様子はスマホで動画を抑え、今に至るまで思い出すと観るようにしている。
外に出ればあれほどまでに引っ張ろうとしていたイヌが尻尾を下げ、排せつを済ませると思うに任せず動かないカラダを確かめるように立ち止まっては歩くを10分ほど繰り返し。せいぜい100メートル、5月に入ってからは50メートルも歩けばよい方に。
それでも朝昼晩、リードを鼻先に近づけるとカラダを起こしとぼとぼと玄関まで付いてきた。
5月も末になるとリキッドを注射器で口に含ませるようになったが本犬的にはこれが苦痛らしく常に四苦八苦。食べて欲しい、体力をつけてまた元のように散歩に出て欲しい。勝手な願いだけどまだまだ何とかなるのではないか、一縷の望みを捨てずに世話を続けた。これはもう介護そのもの。小型犬だから体力はそれほど必要ではないものの人間もなかなかツライ。

おしっこが思うに任せなくなってはきたが、夜はやはりひとの傍にいたいらしくベッドの脇にクッションを置いてそこで寝るようになった。しかし真夜中、よろよろと起き出す足音を耳にするや飛び起きてリビングのトイレまで抱えて連れて行く。
尾籠な話だけどリビングのあちこちには不測の事態に備えてトイレシートを敷き詰め対応したがやはり時折そそうがあったり2か月ほどそんな攻防が続いた。

そうするうちにもいよいよ散歩の距離も短くなる。50メートルが30メートルに、それが10メートル、6月に入るといよいよまんじりとも動かずふらつくことも増えた。
でも、まだ良い方向に向かうのではないか、ついこの間まで元気だった姿をみているだけにどこかで淡い希望を持っていた、そんな気がする。

病院には週に3~4回、一日おきが基本となり小さな頃から診てもらった獣医さんもはっきりとは言わないが数値的には非常に微妙なバランスになっており、とにかく嫌がるでしょうけど体力をつけるための食事は少しづつでも与えた方が良いのだけどと伝えてくれる。


最後の日は幸い週末だった。

土曜日、朝、昼と外に出すと足元が覚束ないなりにほんの数歩歩き排せつし目をショボショボ。
いつも一緒に歩いた景色、におい、側溝の凹み、つつじの植え込み。
覚えているかな、考えているかな。顔を覗き込む。

夕方ぐったり横たわっているところをまた散歩に連れ出した。
今度は、立てない。
そんなこともあるよな。
気分が悪ければ仕方がない、また明日の朝、散歩に行こう。


その夜も何とかリキッド状の流動食を少しでもと含ませる。
やれやれ、たいへんだけども頑張ろう。


その晩、もはや寝室まで歩けなくなっていたイヌはリビングで横たわり家人が傍で仮眠していた。
未明3時頃、「キューン!キューン!」と聞いたことの無い鳴き声に目が覚めリビングに行くと家人の抱きかかえる腕の中で震えるイヌ、目は見えているのか、頑張ろう頑張ろうと肉球をさするように握る。
一先ず落ち着いたよう。朝はまた獣医だな、そんな話をして一旦ベッドに戻り微睡む。

5時過ぎ、家人に起こされる。
「息を、していないみたい。」


17歳と4か月と少し。
虚空を見つめる目は、何かを探しているように見えた。
リード、散歩、フード、水?
毛並みは息をしている時と同じ。ただ少しずつカラダが堅くなってくる。これが死後硬直というものか。
まさしく絵に描いたようにさめざめと涙を零す家族でそんなことを交わしながらペット専用の葬儀の手続きを進め、午後には荼毘にふすこととなった。


人生の1/3のはジャックラッセルテリアでできていた。
こんな素晴らしいことがまさか自分の人生にふりかかるなんて思いもしなかったよ!
そんなことを唱えながら亡骸に鼻先を付けてニオイを嗅ぐ。

それはいつものひだまりで横たわって昼寝をする友から立ち上がるほこりっぽくもあるニオイそのものだった。

また、どこかで会おう。
また地続きの世界に住むことがあったらかならず探しにいくから。見つけられるように千切れんばかりに尻尾を振っておくれ。そうしたらまた一緒に散歩をしようじゃないか。

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