『1-4 1-7 2-4 2-7 4-7』far longさんの日記

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far long

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サラリーマン生活もまもなく3ディケード。
バブル崩壊直後からどうにかこうにか生きながらえてきた私。
唯一自慢できることは生来の能天気さと父母のDNAを受け継いだ健康体により心身ともに大きな問題に直面することもなく過ごせてきたことかもしれない。


そんな健康体以外これといった能もなかった私が駆け出しだった頃、同じ部署に会社きっての限りなくブラックに近いグレーな無頼漢のオッサンと同僚になったことがあった。
会社には朝早く出社し昼過ぎるとどこへともなく消えてしまう。声は大きく身だしなみは清潔で女好きで酒には弱い。金の計算だけは滅法早く(今考えれば)経費なのか甚だアヤシイ金遣いでもって得意先のキーマンのハートを鷲掴みにして大手企業に入り込んで口座を開設しその担当になった若手担当を背後で上手いこと操る。このひとと同じ課になると課長の出番はほぼなくなるわけで、役員などとほぼ同等以上の存在感のあるひとだった。その彼を仮にA氏としておく。

同じ部署になった時に電話の取次ぎで間違えた名前をメモって渡してしまった私はA氏より早々に大目玉をくらったのだが、その後少し話をするうちに私の当時の自宅が競馬場に近いこととほぼ毎週通っていることなどを打ち明けると
「そうか。ちょっとお前に頼みがあるんだけどいいか?断るなら断ってもいいけど受けるならずっと受けてほしいんだよな」
と告げられた。
会社のウラの実力者からそんなことを言われて聞かないわけにもいかなかったので「はぁ…」とかなんとかいっているとサラリとこんなことを言われた。
「G1レースのたびに馬券を買ってきてもらいたいんだ。金は毎回1万渡す。そして買い目は毎回同じ。枠連で1-4、1-7、2-4、2-7、4-7だ」
なーんだそんなことか。「わかりました。G1だけですよね?G1はほぼ欠かさず買っているので大丈夫です」
「そうか、じゃ頼むは。こういっちゃなんだけどお前、飲んだっていいんだぞ。金は払う。ハズレ馬券はもってこなくても良いから。じゃ次のG1レースから1万を渡すゾ」
「はい、承りました」
この時はとりあえず何かを頼まれたってことに満足してそれがどこまで続くのかなんて考えもしなかった。

暫くはG1のたびに「おーい!次はなんだ?金やるからまた頼むぞ!」なんて声を掛けられ馬券を買うことが続いた。
正直所謂「出目」だけの馬券なので当たることはあまりなく感覚的には半年に一度くらいポロっと当たってその時だけ馬券を持っていくということを繰り返していた。
当時はまだインターネットも黎明期、電話投票が漸く一般的になり始めたころで私も馬券と言えば投票所まで足を運んで購入することが続いていたのだ。

1年ほど経つと慣れてきたこともあった。たまたま週末を利して実家に帰省することがあった。日曜の昼頃、あれ?そういえば今日G1レースだ、と気づく。
どう考えても投票窓口には間に合わない。飲む?いや、どうする当たったら。誰かつながるかな?1万立て替えてくれるかな?
田舎の電話から数か所に電話をかけまくって漸くひとりだけ友人につながる。わけを言って(とは言っても得意先から頼まれたのを忘れた、とか言って)1万を立て替えてもらい買い目を伝える。友人は「なんだそれ?変な買い目だな」とか言いつつも実際に買ってくれた。
帰宅後、レース結果を確かめると外れていた…はは、取り越し苦労か。でも飲んでいたら…いやいやだめだだめだ…

更にしばらくして休日日中所用で家人が出かけ当時まだ幼かった長女の面倒を見ていると思わぬ時間が流れハタと気づくと15時前。いかん、締め切り時間が迫っている。慌てて自転車を引っ張り出して長女を乗せ一目散に競馬場に駆け付け滑り込みで馬券を購入。ついでにレースを見ていくと…来た!来ちゃった!おそらく20倍台だったかと。配当金は4万と少し。当時の私には翌日するりと手渡せる金額ではなかった(今だってそうだ)こともあり大きく安堵した。
その後も何度かそんなことが続いたこの頃になって漸く「受けるのならずっとだぞ」との重さが、そしてそんなA氏と定期的にやり取りをすることの重さが身に沁みてきた。
一度などなぜか当時プラチナチケットだった東京ドームのバックネット裏に連れていかれた。5回まで見ると「長嶋さんの顔が見れたからいいや」と言い1万をポンと渡してくれて「帰りになんか食ってけ」と言われたこともあった。
それと何度か行きつけだった築地の寿司屋に連れて行ってもらったこともあったっけ。

そんなやり取りを重ねるうちに当時私が担当していた取引先のキーマンとの関係や、その取引先との関係も先方の体制変化の中、そう長くはないことなどを耳に入れられた。ぺーぺーの私に言われたってなぁ、とか思いつつもその取引先との関係は程なくして激変したものの今でもわずかながらの人脈を保ち私しか知らないって人が数名存在することになってしまった。

さてとある年の年末、有馬記念だ。
いつものように金を預かりその日はたまたま早めに馬券を購入した。
私も熟考の末、渾身の馬券を買ったもののかすりもせず、しかし結果を改めて見て吃驚。来ている枠連で1-4だ。それも2万馬券。2000円が40万だ。
これは…

夜、自宅に電話。どこで調べたのかA氏からであった。
「よぉ、どうだ!買ってくれたか?」
「はい!いつも通り!」
「そうか、これだから競馬は良いんだよな!じゃ明日な。良かったよ買っていてくれて」

その後、ほどなくして定年退職するまでこの関係は続いた。
今考えるとあの確認の電話は「もしかして買いそびれてやしないだろうな…」との親心?であったか。
気が利くわけでもなく、特段の愛嬌があるわけでもないのに結局A氏とは退職後も関係は続いた。個人事業主となって取引先関係の窓口となって5年間と決めて働くのだとか。一度社長ってのになってみたかったんだ。とも言っていたっけ。
2、3か月に一度最近仕事はどうだ、あの得意先はどうだなんて茶飲み話に呼び出された。気が利かない私はそうした折に何だっていいので手土産を持っていくもんだ、ってことも知らずに遠回しに教えてもらった。なるほどなるほど。


今考えるといかにも前時代的な面白いオヤジだった。
でも独特の感性と価値観。そして何よりも人間的な魅力が仕事の原点なんだよ、ってのを遠くからの回し蹴りみたいに教えてくれたんじゃないか、競馬の払戻金を見るといつもこのことを思い出す。


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